自己実現と、Web3.0の向こう
仮にソーシャルによるパワーシフト、Google時代からFacebook時代への移行みたいのをWeb3.0と呼ぶとして、その先は何か。

Facebookの台頭やGoogleのソーシャルシフトが実現しようとしているのは、仮想化された個人に向けていかに最適な広告を押し込むか、レコメンデーションの最適化という話でしかない。広告配信最適化のキーが検索ワードからライフログに変わっただけで、やってることは同じ。
最適で効果の高い広告を発明して、高収益を上げる。広告というアプローチからは、この発想しか出てこない。

結果実現するのは、ユーザーを彼にとって心地の良い情報でとり囲むゆりかご。
2年前書いたWeb3.0への期待、SNSのもたらす「人とご縁」とか「出会いからのケミストリー」などというものは、今にして思えばとんだロマンチシズムだったという他ない。

人はそこまで高尚じゃないし、Webの進化のドライバーが広告企業である以上、ユーザーにトコトン寄り添う方向での進化しか望めそうもない。

もちろんそれはそれで便利なことだし、世の中を進歩させることだと思う。これは単なる失望じゃない。
でも、自分がWebに、あるいはEBtやBTRONに期待するのは、自分にチャンスや出会いを与えてくれて、自分という存在を引き上げてくれるものなのだと思う。
自分のアタマが刺激され、アイデアが湧き出たり人生の目標を見極めたりするきっかけになって、自分を新しいステージに導いてくれるような、そんな存在。
我ながらムシのいい話に聞こえるが、自分の期待感の正体をさぐっていけばそういうものとしかいいようがない。


そういうものを創り出すことは商売にはならないの?Webサービスのマネタイズ手段は広告しかないの?
自分に限らず人って大なり小なり、自分の人生を変えてくれるきっかけのようなものを常に待ってるものじゃないの?

バブル期に大量発生したオヤジギャル(高所得で消費性向の強いOLたち)は、ゴルフやカラオケなど「オヤジの遊び」をひと通り遊びつくした挙句「仕事より面白い遊びはない」とうそぶいたという…

B'z 稲葉浩志のソロ曲「O.NO.RE」の歌詞にもあるよ。
買うても買うてもきりがないのは何故 手に入るのは影ばっかりで
ほんとはあなたを振り向かせたいだけ さあ素面になって家にかえろう


GoogleやFacebookの広告がユーザーに提供するのは、マズローの5段階欲求でいえばせいぜい4段階目の「承認欲求」までだと思う。

でもいずれ広告配信の最適化が行き着くとこまで行き着いた時、5段階目の「自己実現欲求」を充たす段階に進むことを彼らも考えざるを得なくなるかもしれない。
人は高次の欲求に対するほど多額の投資をするもの、というのは商売の常識。会社がツブれることなく収益アップを追求し続ければ、いつか突き当たるテーマだから。

「商品じゃなく、体験を売れ。」
自分は広告業界にいたことがあるからこうしたテーマを折に触れて耳にしたし、これはAppleがやってることでもある。
Appleの場合は売り物が自社商品だからまだ話がわかりやすいけれど、他社の商品を宣伝する広告企業であるGoogleやFacebook(あるいはその次の人達)にとって、このテーマをどう自社サービスとして実装していくのか。

ユーザーにとってまだ見ぬ「ありたい姿になった自分」、それを商品の向こう側にイメージさせるためのストーリーの提示。
…という風になるのかどうかわからないが、何らかの形でユーザーの人生にコミットしなければならない。
なぜなら、ユーザーにとって最大級の満足・自己実現というのは、ユーザーの聞きたい話だけを届けるレコメンデーション最適化発想の先にはあり得ないからだ。
その領域はユーザー側の生き様の問題であり、商用サービスの対象になり得るものかもわからない。一歩間違えばカルト一直線のような気もする。

情報配信のキーは、Web普及期はURLだった。Web2.0時代は検索ワード。ソーシャル時代は行動履歴や交友相手の発言といったライフストリーム。
Webの進化につれて「人のニオイの付いた」情報がキーになっていることを考えれば、究極の広告(広告とよべるかはわからないが)が成立するとすればそれは人的サービスの形を取るのではないだろうか。しかしそれはIT的な効率化の効きにくいものでもある。
この分野へのチャレンジャーが現れるとすれば、それはおそらくGoogleやFacebookのライバルとしてではなく、彼らのプラットフォームを踏み台にしたいちユーザー・いちプレーヤーとして顕れてくる気がする。

先進国においてマーケティングは「心理学」の領域に入ったと云われるようになって久しいが、そのさらに次は「文学」の領域に入っていくのだろうか。
人生の大事なことへの気づきを与えるもの、あるいは、その物語の一員でありたい・その世界に帰属したいと思えるものという意味において。
広告とPRの垣根はなくなっていき、買い手と売り手の垣根も曖昧になって同じ空間でひとつの物語を共有していく。
…とこんな風に言うと抽象的すぎるけれど、AppleとApple信者の関係は割りとこれに近いんじゃなかろうか。あるいはディズニーランドとか。
というか総括すれば、GoogleやFacebookの「ファンだと言えますか?」「ユーザーであることを誇れますか?」という問いに収斂されるな、うん。
そういう自分はGmailを中心にベッタリGoogle依存ではあるのだが。


…というようなことを、この記事を読んで思ったわけですけどね。
「閉じこもるインターネット」で描かれたインターネットの形を変えつつあるパーソナライズの未来(gamella)


我ながら青いなあ…中年のクセに。

Posted : 2012/03/18 21:30:11

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