TiPOにかつて感じた期待とライフログの可能性
>日常的なファイル操作の繰り返しで情報の体系化が進んでいくインテリジェントな環境、Macなら置き場所に困って捨てるしかない細切れのテキストがTiPOでなら情報資産になる、しかもそれが手帳程度のサイズに収まっている!、とおおいに期待したものです。
>今で言うライフログ的なものへの期待感に近いでしょうか。

BTRON(実身・仮身)の真骨頂は、「自分の脳内にありながら自分でも忘れていた考えや情報を、それが必要となるコンテクストで思い出させてくれる」ということにあると思う。
それは、ときどきの行動や状況、それにからんで思い浮かべたことなどをまるごと記録することによって達成される。
人生の記録、今でいうライフログ。

「BTRON(実身・仮身)は、日記帳だ」と誰かが喝破して、それはそれで本質をついていると思うのだけれど、個人的には、日記帳とライフログという言葉の間に微妙な違いを感じていて、TiPO含むBTRONに期待したのはライフログの方なのだ。
日記は、文字通り1日単位での記録だが、ライフログというともっとリアルタイム性が強いというか、Twitterに代表されるように、人生の実況中継としてその場で垂れ流したものがそのまま記録として残る、というイメージ。

もっとも、入力もデータそのものも「自分のPC」に縛りつけられているBTRONの環境は、現実的な運用を考えると本来やっぱり「日記帳」の方に近い。
入力/保存環境をまるごと持ち歩けるTiPOの可搬性があれば「ライフログ」的な運用ができそうだと期待したが、使い勝手は言うに及ばず(ユーザーの工夫で改善できることも多いが)、可搬性もあのサイズではイマイチだった。

人生の実況中継と言うなら、Twitterガジェットでも使ってみるか。

Posted : 2008/07/12 22:08:46

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